人をつなぎ、文化をつむぐ羽州街道 楢下宿(ならげしゅく) 金山越(かなやまごえ)
羽州街道楢下宿は、江戸時代に東北13藩が参勤交代の折に立ち寄った宿場で、往時の町並みが大切に保存されています。天保年間(1830~44)の古文書によると、楢下宿には、出羽三山詣での行者、各藩の家中や商人などが宿泊した記録が残っており、非常に栄えた宿場であったことがうかがえます。
楢下宿では、地域住民により歴史・文化・伝統・食など、豊かな地域性が現在にも引き継がれており、宿場にふさわしい景観づくりなど、楢下宿にこだわった活動が展開されています。
楢下宿では、地域住民により歴史・文化・伝統・食など、豊かな地域性が現在にも引き継がれており、宿場にふさわしい景観づくりなど、楢下宿にこだわった活動が展開されています。
保存・活用の取組み
- 景観づくり・・・環境美化(倒木の撤去、除草等)、景観整備(ブロック塀の板塀化等)
- 散策路の整備・・・案内板及び説明看板の設置、改修等
- 保存修理等・・・古民家の修繕等
- 芸能の継承・・・「楢下とっくり踊り」の情報収集及び記録化等
- イベントの開催・・・史跡を活かした歴史探訪会の開催等、地域交流を推進する地域サロンの開催等
- おもてなし料理の提供・・・郷土料理によるメニューの検討及び提供
主な構成文化財等
・楢下宿「庄内屋」、楢下宿「武田家」、楢下宿「大黒屋」、楢下宿「山田家」、覗(のぞき)橋 いずれも【市指定有形文化財】
・楢下宿「橋本屋」、楢下とっくり踊り
・楢下宿「橋本屋」、楢下とっくり踊り
羽州街道 楢下宿 金山越【国指定史跡】
羽州街道は、福島県の北方桑折(こおり)で奥州街道を分かれ、宮城県の七ヶ宿を通り、上山・新庄・秋田・弘前などの城下町を結んで青森に進んでいます。
楢下宿は、宿駅として当時を偲ばせる「コの字形」の街路や茅葺きの古民家など、楢下宿には多数の歴史文化遺産が現存し、伝統的な宿場町として確かな風格と日本の古来の美しさが色濃くのこっています。
→山形の宝検索navi「羽州街道 楢下宿 金山峠」へ
楢下宿は、宿駅として当時を偲ばせる「コの字形」の街路や茅葺きの古民家など、楢下宿には多数の歴史文化遺産が現存し、伝統的な宿場町として確かな風格と日本の古来の美しさが色濃くのこっています。
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旧丹野家住宅【県指定有形文化財】
旧丹野家住宅は、江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢屋」と称し、造り酒屋でもありました。大名や上級武士の宿泊・休息に利用され、多くの関札がのこされています。
平成5年に現在地に移築され、楢下宿の歴史資料を展示しています。
一般:220円、学生:170円、小人:50円 団体割引有(水曜日休館)
→山形の宝検索navi「旧丹野家」へ
平成5年に現在地に移築され、楢下宿の歴史資料を展示しています。
一般:220円、学生:170円、小人:50円 団体割引有(水曜日休館)
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新橋【市指定有形文化財】
新橋は、通称新町めがね橋と呼ばれ、新町から下町に通じる間を流れる金山川に架けられた、アーチ式の石橋です。
明治初期に、三島通庸が県令になると西洋の土木技術が導入され、県内各地に石の橋が架けられました。この橋がその一つで、明治13年8月に竣功しました。
この橋を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として特に徴収したという珍しい橋でもあります。
明治初期に、三島通庸が県令になると西洋の土木技術が導入され、県内各地に石の橋が架けられました。この橋がその一つで、明治13年8月に竣功しました。
この橋を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として特に徴収したという珍しい橋でもあります。
活動の様子
楢下宿おもてなし料理の提供
楢下宿の古民家・大黒屋では、地元のおばあちゃんたちによる手作り郷土料理を囲炉裏を囲んで味わうことができます。メニューは、山菜汁や漬物など、地元で長年にわたり食されきた素朴な田舎料理で、御膳に並ぶ旬の食材に楢下宿の豊かな食文化を堪能いただけます。楢下宿では、納豆餅を竹串に刺して囲炉裏であぶる「納豆あぶり餅」が古くから食されており、醤油の香ばしさに包まれたその味は「素朴で心が温まる」と大変好評です。
(要予約:上山市観光物産協会ホームページ 023-672-0839)
(要予約:上山市観光物産協会ホームページ 023-672-0839)
地図
わたしたちが案内します
羽州街道「楢下宿」研究会【連絡先:上山市観光物産協会 電話:023-672-0839】
- 【アクセス】(旧丹野家)JR奥羽本線かみのやま温泉駅から車で25分
- 【問合せ先】上山市教育委員会生涯学習課 電話:023-672-1111(代)