栄華を誇った谷口銀山 在りし日の情景を後世へ

  • エリア:金山町谷口地区を中心とした地域
  • 団体名:谷口銀山史跡保存会
金山町谷口地区に、新庄藩初期に繁栄し、その財政に貢献したと伝えられている谷口銀山の遺構が残っています。この谷口銀山は、平治年間(1160年)に金売吉次信隆が現吉次山に銀山を発見したのが最初だという伝承があり、寛永初年頃から元禄にかけての最盛期には坑道が66、鉱夫の屋敷が3,000軒、常時芝居が観られる小屋が7か所あり、花の都のように賑わっていたといわれています。現在、一部は実際に坑道に入って通り抜けることができます。
地区の有志で組織する保存会が主体となって魅力を伝え、見て、触って、体験できる町の歴史としてこれからも後世に残していきます。

保存・活用の取組み

  • 谷口銀山跡の修繕工事
  • 史跡等の整備と維持管理
  • 構成文化財の調査と報告書の作成
  • 現地研修と学習会
  • 情報発信
  • 史跡保存会の人材育成

主な構成文化財等

・谷口銀山跡【町指定史跡】
・吉次山 (山の神・神明神社・吉次神社・いぼ取り地蔵尊)
・楯山 神明神社
・清涼山 円称寺
・関連墓石
・鉱石を粉砕する石臼
・不動明王、稲荷
・砂取り峠の化け石伝説

谷口銀山跡【町指定史跡】


谷口銀山写真-坑道入口

最盛期、谷口銀山には66の鋪(しき・坑道のこと)と、金堀居小屋3000軒、寺の数は9ヵ寺、傾城町(遊郭)70軒、7か所の芝居小屋があり、花の都のように賑わっていたとされています。てこ屋(精錬所)は56、ここの銀を牛1頭に32貫目ずつ7頭の牛につけ、7か月間1日も休むこともなく城下に運んだくらいの大盛りが70年間続いたといいます。

現在は坑道の一部が復元され、通り抜けることができます。

銀山発祥と言われる吉次山にはもと谷口銀山にあった神明神社の他4つの神社が祀られ、今も地区民がお参りに訪れています。
集落には当時からの家も多く残っており、鉱山師と言われた人達の子孫も続いています。

保存会では、訪れた方が安全に当時の様子を体験できるように環境整備をしたり、ガイドを行ったりしながら、この地の魅力を守り伝える取組みを続けています。

鉱石を粉砕する石臼

銀山跡には、採掘した鉱石を砕いたものであろう石臼が遺っています。この地で精錬が行われていたことを示す貴重な文化財です。

「灰吹法」という精錬技術では、初めに鉱石を細かく砕く作業から始まるため、その際に使われたとみられ、銀山跡ではいくつか発見されています。

関連墓石

谷口銀山写真-墓石

「銀界栄白信士 山中衆霊 享保十八葵丑年 七月七日改建」とあり、曹洞宗系と思われる法名が記されています。戒名の文字や「山中衆霊」等の文字からみると、銀山で死没した多くの人々の慰霊碑的性格の石碑ではないかと考えられています。

この地には他に二基の関連墓石が遺っており、保存会でパンフレット等を作成し、銀山跡と関連付けて情報発信を行っていきます。

わたしたちが案内します
谷口銀山史跡保存会 会長 井上敬助

  • 【ガイド料】1人500円 6人以上3,000円
          ※初級、上級コースあり
  • 【アクセス】JR新庄駅より車で約30分
  • 【問合せ先】電話:080‐5570‐1554(井上会長)