最上川が運んだ文化と黒塀の豪農屋敷群
江戸時代、元禄の頃まで最上川を航行する大船の終着河岸は中山町長崎まででした。そのため、中山町内には、いまも最上川舟運の歴史や文化的景観が多く残っています。その中でも岡地区は、山形県指定有形文化財「旧柏倉家住宅」を中心とした屋敷群と総延長約1,000mにも及ぶ黒塀があり、美しい景観を形成しています。
柏倉家は地主経営のほかに、当時、村山地域最多の紅花生産量を誇り、最上川舟運で上方とつながっていたことが、多くの美術工芸品、雛人形、築山庭園などからもうかがい知ることができます。
最上川舟運により栄えた黒塀の豪農屋敷群の景観、当時の様子を伝える古文書や雛人形、紅花栽培等を後世に伝えていく活動をしていきます。
柏倉家は地主経営のほかに、当時、村山地域最多の紅花生産量を誇り、最上川舟運で上方とつながっていたことが、多くの美術工芸品、雛人形、築山庭園などからもうかがい知ることができます。
最上川舟運により栄えた黒塀の豪農屋敷群の景観、当時の様子を伝える古文書や雛人形、紅花栽培等を後世に伝えていく活動をしていきます。
保存・活用の取組み
- 県指定文化財「旧柏倉家住宅」の保存活用
- 岡地区の木道修繕及び黒塀の塗装による景観保存活動
- 紅花の栽培、紅花祭りの開催による保存活動
- ひなまつりやお香の体験等のイベント開催
- 古文書の調査と報告会の開催、報告書の作成
主な構成文化財等
・旧柏倉家住宅【県指定有形文化財】 ・柏倉惣右衛門家住宅【町指定有形文化財】
・柏倉九左衛門家の雛飾り ・柏倉九左衛門家の古文書 ・黒塀のまちなみ
柏倉家住宅【県指定有形文化財】
承応年間(1652~55)に、山形市柏倉(当時柏村)から移住し、堀田氏が山形城主であった頃には、組村高6,700石の大庄屋になりました。柏倉家住宅は、邸内・外の敷地約2,300余坪、建物は約360坪を有しており、東向きの長屋門を見越して、正面に主屋(おもや)、南に2棟の土蔵を廊下でつなぎ、北には4,500俵の米が収納できる北倉、そして主屋の後方には家蔵があります。この建物と庭園全体が県指定有形文化財となっています。
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柏倉惣右衛門家住宅【町指定有形文化財】
享保9(1724)年に、九左衛門家から分家。地主経営の他に商業・金融も手掛け、江戸後期には、最上川舟運による古着商いでも活躍し、上方の商人とも手広く取引をしました。敷地約1,600坪、柏倉家住宅と地続きで北西に位置し、主屋を中心に前蔵、裏蔵など9棟、310坪の建物があります。主屋は大正9(1920)~11(1922)年にかけて建てられたもので、伝統的様式の中に当時のモダンなものを取り入れた大正時代の建築様式を色濃く残しています。
柏倉九左衛門家の雛飾り
柏倉家の雛人形の多くは、最上川舟運により京都からもたらされたものです。装束には見事な刺しゅうが施されており、雛人形をとおして当時の都の優雅な生活文化を垣間見ることができます。雛人形では三人官女が一般的ですが、柏倉家の雛人形は五人官女で構成されています。また、全員が振袖を着た未婚女性であるのも大変珍しく、他ではなかなか見られないものです。雛道具は、江戸時代に京都でつくられたもので、お歯黒道具、茶瓶、手拭い掛けなど、本物と同じように作られています。毎年3月には、ひなまつりを開催しています。
黒塀のまちなみ
岡地内には、柏倉九左衛門家(本家)の周辺に、柏倉惣右衛門家をはじめとする柏倉一類の各家が建ち並んでいます。各家の周りを囲むように、総延長約1,000mにも及ぶ黒塀が連なっています。また、九左衛門家の門前には、田畑を潤す最上堰が流れ、自然と豪農屋敷群が一体となった美しい景観を醸し出しています。
地図
わたしたちが案内します 中山町教育委員会教育課生涯学習グループ 電話:023-662-2235
- 【アクセス】JR左沢線羽前長崎駅から車で約5分
- 【問合せ先】黒塀のまちなみ保存活用協議会事務局 電話:023-662-2235(中山町中央公民館内)
- 【 H P 】 山形県中山町 柏倉九左衛門家ガイドサイト