最上川における近世舟運文化 黒滝編

  • エリア:白鷹町菖蒲、下山、高岡、佐野原、大瀬地区
  • 団体名:黒滝会
五百川(いもがわ)峡谷には難所が多く、舟運に利用することは難しいとされていましたが、17世紀後半に上杉藩京都御用商人・西村久左衛門が私財を投じて、通船を妨げていた黒滝を開削したことで舟運が可能となり、舟陣屋や蔵屋敷が整備され、人の往来や京文化の流入が活発になりました。この地の岩盤群と舟道の開削は、最上川舟運の歴史を物語るかけがえのない資産です。

保存・活用の取組み

  • 最上川の文化、自然環境の調査
  • 観光コースの設定、幟旗・標識等の設置、環境整備
  • ふれあい道の整備、展望台の設置の検討

主な構成文化財等

最上川舟運跡(黒滝開削跡と舟道)

最上川舟運跡
五百川峡谷の狭さく部にさしかかる部分の難所の開削跡で、川幅の中に一段深い水路があることが確認されており、そこを「舟道」と呼んでいます。黒滝は最上川本川にあった滝で、現在でもその痕跡が残っています。

剣尖(けんさき)不動尊鰐口 【町指定文化財】

剣尖(けんさき)不動尊鰐口
元禄6年(1693)、西村久左衛門が最上川舟運の最大の難所であった黒滝の開削に着手する際、工事の安全と成功を祈願して、佐野原村の剣尖不動尊を再興し、京都で作られた鰐口を奉納しました。

最上川から出土の小判

最上川から出土の小判
荒砥の船着場付近から文政小判23枚、二分金9 枚、二朱銀358枚が発見されました。古文書により、天保元年(1830)、米沢から荒砥へ硬貨の移送を託された飛脚が乗った渡し船が転覆し落とした物とされています。

岩盤群とつぶて石

岩盤群とつぶて石
五百川峡谷の岩盤群は、その美しさと共に地球創生活動の神秘に触れることができるものです。また、「つぶて石」には、朝比奈三郎義秀が武蔵坊弁慶の邪魔をしようと投げつけた大きな石であるという言い伝えがあります。

地図

最上川における近代舟運文化地図

わたしたちが案内します  黒滝会事務局 電話:0238-85-5866

  • 【アクセス】 (つぶて石)フラワー長井線荒砥駅から車で5分
  • 【問合せ先】白鷹町教育委員会生涯学習・文化振興係 電話:0238-85-6146