最上川が運んだ文化
上方の物資、文化が運ばれる
帰りの船には、塩、魚、茶、古手(ふるて:古着)、仏像、石灯龍(いしどうろう)などが積まれてきまし た。これらの物流を通じて、上方文化との交流も生まれました。
「海上順風」の文字が書かれた茶壷
【山形県郷土館文翔館蔵】
酒田山王祭りや新庄まつり、大石田や谷地の祭りの山車(やたい)と囃子(はやし)には、京都祇園(ぎおん)祭の影響を考えることができます。
新庄まつりの山車行事(新庄市)
【国重要無形民俗文化財】
紅花商人の中には、江戸時代後期から明治時代になると紅花以外も扱う大商人に成長する者も現れました。彼 らは、紅花の生産の様子などを描いた紅花屏風や、上方様式と江戸様式を折衷した蔵座敷の文化などを残しました。
紅花屏風 青山永耕 筆 六曲一双
最上川流域には上方から取り寄せた雛人形が数多く残っています。 現在、河北町谷地や大石田町大石田など県内各地で3月から4月にかけて、それらの雛人形を公開する「ひなまつり」が開かれています。
これらは日本有数のものであり、上方文化を単に受け入れていただけでなく、自分たちの生活にとけ込ませているという点で重要です。
享保雛【山形県河北町紅花資料館蔵】