最上川にまつわる文学・芸術
文学に現れる最上川
最上川舟運がもたらした富は、芭蕉をはじめとする多くの文人や墨客(ぼっきゃく)を流域の地に招くことになりました。
五月雨を あつめて早し 最上川
暑き日を 海に入れたり 最上川
『おくのほそ道』(松尾 芭蕉)
松尾 芭蕉(まつおばしょう)は、江戸時代前期の元禄2(1689)年、「おくのほそ道」道中の約四分の一にあたる約40日間を山形県内に滞在し、多くの俳句を残しています。紀行文にも、「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有り。」と記しています。
本合海の渡船場跡(新庄市)
尾花沢の鈴木 清風(すずきせいふう)の元には、10日近く逗留(とうりゅう)しています。清風は「紅花大尽(べにばなだいじん)」とも呼ばれた豪商で、俳諧を学び俳人とも交流を深めた人物です。これは、最上川流域に文人を受け入れる経済力と文化的素地があったことを示しています。
芭蕉・清風歴史資料館(尾花沢市)
明治時代の正岡 子規(まさおかしき)は芭蕉の足跡を訪ねる旅に出ており、最上川の句を残しています。 また、上山市に生まれた歌人の斎藤 茂吉(さいとうもきち)は、戦後の昭和21年(1946)から2年間、大石田で独居生活を送り、最上川に関する歌を残しました。
ずんずんと 夏をながすや 最上川
草枕 夢路かさねて 最上川 行くへも知らず 明き立ちにけり
『はて知らずの記』(正岡 子規)
最上川の 上空にして 残れるは 未だうつくしき 虹の断片
最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆうべと なりにけるかも
『白き山』(齋藤 茂吉)