最上川の流通・往来
流通・往来の歴史(古代)
古今和歌集に収められた最上川
「もがみ川 のぼればくだるいな舟の いなにはあらず この月ばかり」
この歌は、延喜(えんぎ)5(905)年に成立した『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に収められているもので、 最上川が確認できる最も古い史料です。「いな舟」は稲を運搬する舟と考えられ、舟を使った水上の輸送や農耕との関連を連想させます。最上川は稲舟とともに歌枕として、当時の中央貴族によって歌い継がれました。
「水駅」が置かれる
律令国家によって整備された古代の道路網の中で、出羽国(でわのくに)に「水駅(すいえき)」が置かれていたことがわかります。水駅というのは、駅馬(えきば)や伝馬(でんま)の他に舟を配置した駅のことで、出羽国以外には見られない独特なものです。最上川で舟を使った交通や輸送が、主要幹線として位置づけられていたと考えられます。 水駅の位置はまだ明らかにされていませんが、野後駅(のじりえき)の推定地である駒籠(こまごめ)遺跡で発掘調査を行っています。
城輪柵跡(酒田市) 【国指定史跡】 発掘調査中の駒籠遺跡(大石田町)
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