最上川の流通・往来
流通・往来の歴史(中世)その2
安全な航行を願う
日本三大急流の一つとよばれる最上川には、碁点峡(三難所)や五百川峡谷を筆頭に、流域のいたるところに舟運の難所がありました。最上川を上り下りした舟乗りたちは、流域の寺社へ熱心に安全祈願をし、多くの舟絵馬などを納めました。
小鵜飼船の絵馬【大江町巨海院蔵】
参詣(さんけい)路としての最上川
最上川は出羽三山(でわさんざん)への参詣路としても利用されました。江戸時代、出羽三山には八方七口とよばれる7つの登り口が存在し、その中でも最大の 宿坊集落が手向(とうげ:鶴岡市)です。手向に入るには、日本海側から陸路で鶴岡城下を経て入るルートとならんで、大石田、清水、清川まで最上川を舟で下 るルートや、酒田まで舟で下って赤川をさかのぼるルートを経由して出羽三山に向かう人々も多かったことがわかっています。
最上川を利用して参詣する様子を描いた「出羽三山登拝(とうはい)図」
【大蔵村中央公民館蔵】