とっておきの最上川 最上峡
私の最上川~仙境・最上峡~
最上川の景は県内各地みなそれぞれに美しいが、最も優れているのは出羽山地を横断して流れ下る最上峡である。ここには「義経紀」に記されている「白糸の滝」「たけくらべの杉」「矢向の大明神」「あひ河の津」の景勝がある。しかし、最上峡の景が人の心を打つのは、ただ風景が美しいからだけではない。この地には、歌人 実方中将や悲運の武将義経、最上川舟運が盛んなころの舟人たち、明治戊辰戦争の折の悲劇などが随所に込められているからである。(文 大友義助氏)
猿羽根(さばね)峠からの大河の眺望
最上・村山の境に立つ猿羽根峠頂上からの見渡す大河の景は、まさに絶景である。 峠の頂には、子育て、縁結び、延命の霊験あらたかな地蔵尊が祀られているが、この境内からの眺望の素晴らしさはここの土地の人々にも余り知られていない。眼下に北流する最上の大河が猿羽根の山に激突して急に西に流れを変え、大きな弧を描いて流れ下っている。対岸には、大河が造りなした低い段丘上に立地する毒沢の集落と広い田んぼがある。眼をあげて南の方を望めば霊峰葉山、西の方には月山のなだらかな高峰が薄い霞の中に遠望される。さらに頭を巡らして北の方を望めば、残雪に輝く秀峰鳥海山が中空に浮かんでいる。
また、毒沢(どくさわ)集落には近年まで対岸に渡る橋がなく、渡し舟に頼っていた。そこには悲しい話が伝えられている。村の娘が良縁を得て瀬見の某家に嫁ぐことになった。花嫁行列の一行が最上川を越えるため、渡し舟に乗っている途中、ザイ(氷雪の塊)に襲われて転覆した。一行の多くが河中から助けられたのだが、ただ花嫁一人だけはいまだ発見されていない。恐らく最上川の主の花嫁になったのだろうと村人たちは伝えている。大正十二年1月の出来事である。(文 大友義助氏)
高麗館からの最上川眺望
戸沢村を貫く国道47号の「道の駅 高麗館」の高台から見渡す最上の大河の眺めは佳景である。最上川の新しいビューポイントと称すべき場所である。眼下には、八向山の難所を過ぎた最上の大河が戸沢村蔵岡・真柄裏手の山々に行く手を阻まれ、右に大きく蛇行して、滔々と流れている。まさに大河の相である。東の方、遥かに見渡せば、遠く大河に合流する鮭川が望まれ、金打坊に越す金打坊橋がかすかに見える。この間に広がる田んぼの眺望が素晴らしい。
眼下の大河の河面には、大小の岩の頭が見えて美観を呈しているが、これは舟人にとっては恐怖の的であった。増水期にはこの岩は水の中に隠れる。高価な紅花・青苧を積んだ川舟や鮭川上流部の山々から刈り出された木材の筏がこの隠れた岩に激突して微塵に砕かれてしまう。いわゆる「黒渕の難所」である。そのため、岸辺には、ここを下る舟人を護る黒渕明神が祀られている。(文 大友義助氏)
本合海・八向山の景
碁点の隼の難所を過ぎて北流する最上の大河が本合海・八向山の白い断崖に激突し、俄かに西に向きを変え、大きな渦を成して流れ下る大河の景はまさに絶景である。初夏、八向山の万緑が脚下の大河の深潭に暁を落とす景も美しいが、秋、錦繡のこの山の大河の景はもっと素晴らしい。この景勝を明治41年に発行された「山形県名勝誌」では「松樹蓊(おう)鬱(うつ)、問、紅葉多ク、船中ヨリ之ヲ望メバ、千紅万緑水ニ映ジテ、風光佳絶、一幅ノ活毒ヲ見ルガ如シ」と記し、平成6年初夏、ここを訪れた現代俳句の巨匠 金子兜太は「郭公の声降りやまぬ地蔵渦」と詠んだ。
八向山大河の景は近年「最上川ビューポイント100」の1つに選ばれ、またここの同山上の矢向楯を含めた一帯も国指定名勝(名勝「おくの細道の風景地(本合海)」になった。八向山中腹、青葉の陰に当地方随一の古社、矢向神社が鎮座し脚下を上り下りする舟人を守っている。(文 大友義助氏)