とっておきの最上川 五百川峡谷編
長井の船着場と舟運を守る石積堤防
吾妻連峰を発した最上川が飯豊連峰からの置賜白川を合して一気に豊かな流れに変身するのが長井です。かつて米沢藩(上杉)15万石の表玄関口として遠く京、大阪そして江戸への積出港でもありました。滔々と流れる最上川に沿った町並、その背後にせまる屏風のような葉山連山が一服の絵のように一望でき、米や多くの物資を満載した小鵜飼舟の出入りを彷彿とさせます。また船着場から朝日連峰に向けて置賜野川を6kmほど遡ると、船着場と街並みを守るため幕府と米沢藩が築いた巨大な石積堤防の歴史的遺構も見られます。
(文・写真 佐藤五郎氏)
最上川舟運最大の難所
長さ200kmにおよぶ最上川舟運で最大の難所が五百川峡谷でありました。320年前に米沢藩の御用商人でもあった京都の豪商・西村久左衛門親子が私財を投じて30km余りの峡谷に舟道を開削したのです。なかでも峡谷の入り口に当たる荒砥の黒滝付近と佐野原の岩盤は、当時の舟道が手に取るように見ることができる貴重な場所です。当時の船頭たちもこの難所の入り口に来たときは、一段と気合を入れ、まさに山並に向かって激流に挑んだ様子が思い浮かばれます。
(文・佐藤五郎氏)
五百川峡谷の動と静
五百川峡谷が激流なのは、荒々しく波立つ流れと静かな流れが交互に、しかも目まぐるしく幾重にも迫るため船頭は一時も気を休むことができなかったでしょう。なかでも朝日町の川通から明鏡橋にかけての流れは、日本庭園を思わせるように断崖に張り出した松の木と静かな流れ、その直後に控える滝のような荒々しい流れが眼前に繰り広げられ、まさに最上川の真髄に触れたような気分になれます。また水質からも最上川の清流を最も感じ取られる場所でもあります。(文・佐藤五郎氏)